丹後山の会(与謝山の会)のあゆみ(沿革)

2002年3月9日 結成
 日本三景「天橋立」が一望でき大江山連峰のある丹後では、これまで登山・ハイキングの愛好者に呼びかけ気の向くままに近郊の山々を歩いていましたが、計画的に登山やハイキングをしようと話がまとまり2002年2月8日に発足準備会が開かれ、規約、役員、山行計画等の原案作成、結成総会の日時・場所等が決定されました。 そして、約一ヶ月後の2002年3月9日に結成総会が開かれました。 総会の参加者は役員以外は2〜3名で、役員合わせても11〜12名でした。でも総会には参加されませんでしたが、加入の意思表示していた方もおられ、委任状の提出によりおよそ20名の方から規約、役員、山行計画の承れ、”全員賛成の決議” により与謝山の会が誕生しました。
 この会の目的は、自ら登山・ハイキングを楽しむとともに、一般市民に根ざしたスポーツ・レクリェーションとして 普及発展させることを目的としています。 山の好きな方、自然を愛する方等々、多数の方にご参加いただき、楽しい山行ができたらと考えています。
2002年3月31日  第1回山行 内山ブナ林と高山
 「与謝山の会」の結成を記念して、地元の山、内山(大宮町五十河)のブナ林鑑賞と丹後半島一高い702mの標高点を踏むハイキングが。参加者は小学校1年生から70代までと幅広く、また4組のファミリーが参加しました。
 以後、月1回、近畿圏日帰りの山行を例会と位置づけておこなってきました。
 また、年に2回程度、より遠くの山とか、標高の高い山、難易度の高い山行、泊を伴う山行(小屋泊やテント泊)などを労山部会山行としておこなってきました。
2002年4月  会報発行
 月々の山行の様子の報告・次回山行の案内、その他会員をつなぐ機関誌として、月刊で会報を発行。
 以来欠かさず発行を続け2016年4月で164号を数えています。
2002年11月9日  ”裏番組”実施   「五台山」→高源寺>
 現地近くまで来たものの天候不順。山登りはやめて近くの高源寺へ。雨中ではあるが紅葉刈りをたのしみました。
 雨の中の山行ということもありますが、それも程度問題。雨でも与謝を出発し、現地で判断。登山不可なら市内散策などの山行パターンを作った山行でした。
 その後も”裏番組”もまた楽しいと評価を受けています。(例 美術館だまし絵展、ミケランジェロ展、篠山味祭り、小谷城址、永平寺、人と自然の博物館、キリンビール工場など)
2003年4月29日  クリーンハイク  三川山
 京都労山では自然保護の観点から様々な活動を行っています。与謝山の会でもこの趣旨に賛同して2003年は三川山山行をクリーンハイクにあて、スーパーのレジ袋を持って登山しました。以降、毎年6月に地元の山で行う事を原則に取り組んでいます。
2003年8月  ホムペ-ジ公開
 会報のHP版を作成し公開しました。毎月更新。
 いつでも手軽に、会報1号から最新号までを、しかもすべてカラーで見ることが出来るようになりました。
2004年1月10日  会報印刷第1頁はカラーに
 普通は白黒の謄写版印刷ですが会員から、「せめて1ページ目ぐらいはいつもカラーで」との希望が強く、2004年発行分からは1ページ目はカラー印刷にしました。山の景色や植物の美しさを堪能出来るようになりました。
 その後、状況に応じてカラーページを増やした号もあります
2004年5月22日  レスキュー講座  三上山
 京都労山から2人の講師を招請して、三上山山頂にて講習会を行いました。
 以後安全山行の為の講習会は机上・実技を含めて毎年、1回〜数回行っています。
また会報紙上にも、山行の安全を呼びかけるための記事や、学習するための記事が繰り返し掲載されるようになりました。
2004年9月19日  スズメバチに襲われる  百里ヶ岳
 下見の日には何事もなかった道に巣がかけられていて、私た通行によって刺激してしまったらしく、うろになったところからわーとハチが出てくる。二人が刺され、現場での応急措置の後、小浜の休日救急診療医へ。診察・点滴を受ける。この経験から、ハチに襲われないための学習、吸引器の購入・携行、また当日襲われたために隊が2分して、携帯でも連絡がとれなくなった経験から、無線機の必要性などの検討をしました。
2005年5月7〜8日  班行動の大切さ  東赤石岳
 アケボノツツジに魅了された山行でしたが、登りに隊列がみだれ、ばらけてしまいました。すれ違った他のパーティーから、「パーティの体をなしていない」と厳しく指摘され、あとの役員会で大論議しました。以降、班行動を原則に山行を企画運営するようになりました。
2005年7月10日  まヒルの決闘   千ヶ峰
 下調べではヒルがいるかもと分かっていた人もいましたが、ガイドブックによっては何もも記載がない。で、注意喚起も弱く、一方みんなはその恐ろしさを知らず、いよいよとりつかれた時にはパニックでした。ほとんど全員が初体験。 中には現地で落としたつもりが帰宅後洗濯しようと衣類を出したらまだついていた!など、
 このことで、また勉強しました。服装の整え方の注意や虫除けスプレーなど。ヒルの生態も。
2006年6月4日  仲間を搬出   大江山
 山行中、一人が急変。仲間は以前に受けた講習の知識を元にストックで担架を作りすこしずつ移動。やがて上がって来てくれた救急隊に託することができました。
 講習の成果でパーティ自力での搬出行動は始めたものの、やはり冷静な判断を欠いていて、不適切な行動もあったと事後の反省ではまとめています。救急隊との出合のためには下山方向が逆の方が良かったなど。
2006年6月11日  勇気ある撤退  御在所岳
 出発点から間違ってしまって別の谷に入り込んだのだが、それに気づかず、昼近くになってこれはおかしいと探索しながらすすむ。遂に昼、でも予定の地点に着かない。協議の結果撤退。
 事後、役員会で厳しく分析。事前学習不足、現地での早合点による行動開始、しばらく進んでおかしいと内心気づくものも数名いたが言い出さない・・・などが重なった。地図・コンパス不携行の者も多かった。
2006年9月16〜17日 創立5周年山行 八ヶ岳山群(信州)
 創立5周年記念に“大きな”山行をしようと、山中2泊で、2899m赤岳を企画しました。
 それぞれトレーニングをつみ、期待に胸膨らませて出発した26名でしたが、1泊めの赤岳鉱泉小屋での夜のラジオは「大型で強い台風、九州上陸の模様、近畿にも大雨警報」と警鐘乱打。朝ミーティング後予定変更して下山。
『引き返す決断』を経験した山行でした。
2008年7月19日 仲間を失う 白山 
 1日目、室堂センター直前の最後の登りである五葉坂にて、メンバーの一人が突然倒れました。仲間達の懸命の介護や現地スタッフ・救急隊の活動も効なく、ヘリ搬送先の病院で死亡が確認されました。ご本人の発病が原因ではありましたが、山行中に仲間を失うという経験に震撼し、今後の山行の体制を強化しました。(これ以降、”留守本部”を必ず明確に設置することに)
2007年12月2日 北部救助隊設立 
 もし何かあった時、京都労山救助隊の派遣を待つだけでなく、自分たちでも出来る力を持とうと、北部5労山で救助隊を設立。
 搬出訓練・救急救命活動の訓練に取り組むとともに、ビバークや雪山訓練、また沢登りの研修などをおこない、また何より北部5労山の交流をはかっていくことにしました。
2008年10月5日  山座同定実習  高竜寺ヶ岳
 当日は高竜寺登山祭りでにぎわう。おかげで整備された道を行き、山頂では山座同定実習。地図にコンパスをあわせて目を上げると、その方向に目標の山がちゃんと有り、なるほどと納得。12/14の三草山でも360度見渡せるスカイラインと地形図を合わせるミニ山座同定実習をする。2009年2月5日の大岩ヶ岳でもコンパスを使って山座同定山行。
2009年11月8日  負傷者を救護  音羽山
 下山中の15時、手すりにつかまっている年配の登山者。「腰のバランスを崩して…、でもゆっくり降りますから大丈夫」とのことで行き過ぎるが、しばらくしてメンバーから心配の声。「ズボンがひどく汚れていたから、多分転倒して相当腰を打たれたに違いない」「あの調子だと、日没までに下山できないだろう」…では、私たちに何が出来るだろう? いくつかの提案の中で、結局、両側から肩をかして下山してもらおうという結論になり、肩を貸す者、そのサポートをするもの、先行班へ連絡をとる役の者と、体制を立て、日没までに救助完了。
 いい経験でしたが、これにも検証、反省点がいくつもありました。でも、これまでの訓練のおかげでスムーズに行動できたことはまちがいありません。
2010年4月3日  天候急変吹雪席捲山頂断念  霊仙山 
 汗ばむ陽気の中で登山開始。笹峠を過ぎたあたりでポツリと雨粒。ややあって「雪!」との叫び声。強風に混じって雪が舞い上がってくる。ついには吹雪に。昼食も風の中。かじかむ手、こわばったおにぎり。吹雪はやむ気配なく、予定変更。山頂はあきらめ、目標の一つである『福寿草』のところまでは行ってあと下山。
 山の天気の変わり目の早さ、怖さを感じました。天気予報では「〜おおむね晴れ。〜では一時的に雨か雪」と、雪のことも報じていたのに、私たちは”晴れ”の部分にだけ目を奪われていたわけです。地形図とともに天気図も読むことが大切と思い知らされました。
2010年5月5日   セルフレスキュー  三川山 
 下山を初めて2/3くらいの所で足を踏み外しての転落事故が起きました。男性5〜6人でレスキューで学習したことを思い出し、道まで引き上げ前後をガードしながら登山口に戻れました。
2010年7月   保険拡充 
 山行にあたって、参加者には1日保険をかけていました。その内容は「死亡」、「入院」を対象にしたものだったのですが、5月の事故を振り返り、「通院」も対象とする契約に変えました。
2010年9月12日  公開ハイキング  蓬莱山
 会設立の趣旨は、規約に「自ら登山・ハイキングを楽しむとともに、一般市民に根ざしたスポーツ・レクリェーションとして普及発展させること」と記しています。会員だけでなく一般参加は常に可なのですが、案内段階から市民全員に案内はむずかしく、年1回を『公開ハイキング』としてタウン誌などに記事を載せていただき募集しています。参加さのなかから会に入会される方もいくらかあり、喜ばれています。
2010年12月10日  会報発行100号
 会報発行が100号となり、記念誌として、100号の内容を振り返る冊子を発行しました。 またこれは会の歴史を再訪する辞書のようなものとしても値うちのあるものです。
http://www.nihonkai.com/yosayama/yosayama/no100-2-yosanoyama-k.pdf
2011年〜   「第2例会」  
 「月一回の例会山行だけでは物足りない」「一回の例会を都合ではずせば2ヶ月間ブランクができる」といった声にこたえ、第2例会と称して地元中心で山行が行われ、年々拡充していきました。時には第3例会とか第4例会などと言った催しも行われるようになっていきました。
2011年4〜   東日本大震災救援募金をとりくむ
 日本勤労者山岳連盟・京都府勤労者山岳連盟の呼びかけに応えて救援募金の取り組みをしました。66000円あまりの募金があり、府連盟を通じて日本勤労者山岳連盟に送付しました。
2011年5月7日    必死の下見  横山岳
 その月25日の山行に備えて役員数名で下見。複数ある下山路を踏査。ところが白谷コースを降りたものから連絡。「途中から道が荒れて不明確、下の方に林道は見えるものの、通行困難」と。無理して事故になるといけないと、やむを得ず登り返して三高尾根コースを降りることに衆議。三高尾根を降りていた者は途中で待機。ところがなかなか降りてこない。白谷コース2/3ほど降りていたのを登り返すわけだからたしかに大変。夕暮れが迫る。ここに我々が居るぞと、笛を吹いたりして待つ。姿が見えたのは夕闇直前。合流して残行程の下山は懐中電灯で。墓谷山探索組は駐車場で熱いコーヒーを用意して待っていてくれた。
 山行の事前下見は、要不要を判断して行って来たが、どんな道でもガイドブック通りでない、嵐のあと道がない、と言うこともあるものだと、どんな山でも山行月の近くに下見は大切だとの認識は深まる。その後、山によっては季節を変えて複数回下見をすることもありました。
2011年11月15日〜21日   写真展
 『山へのいざない』と題して、宮津浜町ギャラリーにて行いました。写真40点、絵画ほか8点が出品され、会員からの呼びかけやマスコミ報道があり、約600人の方が来場されました。宮津与謝地域の人たちに「与謝山の会」を知ってもらえ、次回の例会(12月明神山)には10名もの新しい方が参加してくださいました。
2013年4月14日    京都労山の仲間を案内  天橋立文殊山尾根
 京都連盟ハイキング委員会主催で、毎年各地を山行会場に選んで行うもの。与謝に会場地を依頼され、当会会員が整備したコースを提案。傘下の各会から30名ほどの参加。与謝山の会の30名がホスト役として参加。文殊山尾根から天橋立をたのしんでもらう。
2014年8月27日  第4例会「大槻さん100名山達成報告会・祝賀会」  喫茶Pにて
 山の会会員の大槻さんが、2014 年7 月29 日、自身の70 歳誕生日に常念岳山頂に立ち、日本百名山を達成されました。
 例会ではなく「個人山行」ではありますが、この快挙をたたえ、喜びをともにしようと、”第4例会”を企画しました。
2015年5月24日   読図山行  今福秋葉山
 北部救助隊主催での読図山行の開催地を与謝が受け、今福秋葉山で行いました。地形図には道がないところを地形を見て目標に向かう山行です。これも役員としては下見をし、地元の人(?)がつけていた赤テープをはずす、という作業をしました。(終了後復元)
2015年6月20日、 7月4日、 7月12日  山登り講習会
 5月24日の読図山行の好評を受け、与謝山の会会員向けにもう一度、さらに深める講習会を行いました。
 2回は机上、最終回は三十三間山〜轆轤山(ろくろ山)での読図山行
2015年11月8日  北部5労山交流登山  大江山
 北部救助隊を改組、京都労山救助隊に各自登録することになり、北部5労山は「協議会」として交流活動をさらに深めていく事になりました。この日は大江山に各地域から登り頂上で交流しました。
2016年4月24日〜8月28日  夏山登山入門教室 京都労山北部公開講座
 北部5労山合同で夏山登山入門教室を開催しました。
 安全登山についてや、装備と服装、歩行技術、読図、体作り、気象、遭難対策、動植物についてなどを学び、実技講習では歩行技術や読図、ガレ場歩き、雨対策などを学び搬出訓練にも参加しました。ボッカトレも行いトレーニングの大切さを体得、修了山行の立山にむけ各自自主トレに励みました。積み上げた学習と実技訓練、トレーニングの成果で、修了山行立山は笑顔で縦走を終えることができました。
 今回の登山教室で得た経験を糧に、今後も登山技術の向上と会員増に向けた取り組みを続けていけたらと思っています。
2020年2月2日
 総会で一般部会を廃止し、労山部会だけの会にすることに決めました。また、会の名称を「与謝山の会」から「丹後山の会」に変えることを決めました。丹後山の会は与謝山の会の歴史を受け継ぎ、さらに発展していきたいと思います。
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